皆さま、こんにちは。伊達政宗歴史館です。
このたび、当館の設立40周年を記念した特別企画 第一弾 として、伊達政宗公ゆかりの地を巡るツアーを実施いたします!

題して、「若き政宗公の古戦場を訪ねる旅」。歴史好きの方はもちろん、地元の魅力を再発見したい方、ちょっとした旅でリフレッシュしたい方など、どなたでも大歓迎です。

ぜひこの機会にご参加ください。

見どころ

  • 伊達政宗公の足跡を辿る貴重な体験
    若き政宗公が活躍した古戦場を実際に訪ね、その歴史に触れることができます。伊達政宗歴史館館長 佐藤久一郎が同行し、戦国時代の背景や当時のエピソードをわかりやすく解説します。

  • 伊達政宗歴史館の見学
    若き政宗公の戦いと歴史につての特別講和を開催!政宗公の人物像や当時の文化にさらに理解を深めていただけます。館内貸切で、常設の展示もゆったり堪能いただけます。

  • 本ツアーだけの特別メニュー
    若き政宗が戦場で夢見たと言われるメニューを再現。牡蠣・ホタテバーベキューと飲み放題で、松島ならではの夜をお楽しみください。

ツアー概要

  • 日程
    令和7年4月14日(月)~4月15日(火)
    (1泊2日・バス移動)

  • 募集人数
    30名(最少催行人員20名)
    ※定員になり次第、募集を締め切らせていただきます。

  • 主な行程
    1日目
    16:00 みちのく伊達政宗歴史館ご集合・講和 → 17:00 夕食(特別メニュー) →ご宿泊

    2日目
    8:00 ホテル出発 → 8:10 仙石線松島海岸駅(日帰りのお客様ご集合)→ 道の駅伊達の郷霊山→小手森城址→小浜城址→西念寺・首塚→輝宗公御花畑(車窓説明)→宮森城・御清水→昼食 →粟ノ巣古戦場→瀬戸川館跡→人取り橋合戦→もとみや柏谷店→道の駅お買い物→17:30 仙台駅→18:30 みちのく伊達政宗歴史館 帰着予定

  • ご宿泊
    松島センチュリーホテル
    お一人様一部屋利用 ※お二人様一部屋でご利用の場合は別途お問い合わせください

  • 旅行代金

    • お一人様:45,000円 
    • 4月15日(火)日帰りコース:25,000円(仙石線松島海岸駅集合)

  • 旅行代金に含まれるもの
    バス移動費・宿泊費・夕食・昼食・旅行傷害保険・伊達政宗歴史館入館料 など

こんな方におすすめ!

  • 戦国武将や伊達政宗公の歴史が好きな方
  • 家族や友人同士で、歴史を学びながら小旅行を楽しみたい方
  • 松島の魅力を再発見したい方
  • 普段の観光ではなかなか行けないスポットに行ってみたい方

お申し込み・お問い合わせ

  • お申し込み方法
    お電話または当館ホームページ内のお問い合わせフォームからお申し込みください。

  • お申し込み時には、人数分の

  • 参加者名

  • ご住所

  • 電話番号

  • 性別

  • 年齢

  • 生年月日

  • 上記を添えてお申し込みください。

  • お問い合わせ先
    みちのく伊達政宗歴史館
    TEL:022-354-4131(受付時間:9:00~17:00)

5歳のときに天然痘を煩い、右目の視力を失ってしまった梵天丸(ぼんてんまる・幼少期の政宗の呼び名)。名家出身・美貌で有名だった母親は、片眼となってしまった梵天丸を疎み、弟の竺丸(じくまる)を可愛がります。片眼というコンプレックスの上、母の愛情にも恵まれず、辛い幼少期を送った梵天丸。一方、父・輝宗は梵天丸を愛していました。伊達十七代の家督を継ぐ器に育てたかった輝宗は、美濃の名僧・虎哉宗乙(こさい そういつ)を梵天丸の師として招きました。虎哉は、仏教、漢学、文学など学問の手ほどきを行うだけでなく、梵天丸に「武将としての生き方」を示しました。虎哉の教えにより、梵天丸は己の弱さを克服する努力をしていったのです。

徳川の政権が確立すると、太平な世の中が訪れました。政宗は、青葉城の築城や北上川下流の開発をはじめとする数々の事業を行い、仙台藩の繁栄に尽力しました。この頃に生まれた文化は現代にも引き継がれています。後年の特筆すべき大事業は、支倉常長らをヨーロッパに派遣したことです。ローマ法王らに謁見し、キリスト教の布教と引き換えにメキシコとの貿易の許可を得ようとしたこの計画は、幕府のキリスト教弾圧もあり達成されませんでした。この時期に三陸を襲った慶長大津波のわずか2週間後に、サンファンバウティスタ号の建造と使節派遣の構想を発表したという事実を踏まえると、この計画には災害から立ち直るための強い意志が託されていたのではないかとも見ることができます。
秀吉から何度か小田原参陣の催促が来ていたものの、秀吉傘下に入ることは政宗の反骨精神が許しません。戦うべきか、否か・・・藩を二分する論争となりました。結局、時流を読んだ政宗は秀吉に追随することを決めますが、秀吉は謁見を許さず、政宗一行を箱根山中に押し込めます。その後、秀吉の陣所に呼び出された政宗。場合によっては差し違える覚悟で、死装束で謁見します。しかし秀吉は政宗に自分の刀を持たせ、山上で作戦を説明しました。絶体絶命を切り抜けた政宗は、秀吉の豪胆さに圧倒されたと言われています。
18歳の若さで伊達藩の当主となった政宗。ところがその翌年、最愛の父・輝宗が二本松城主・畠山義継の謀略により惨殺されてしまいます。この痛恨の出来事により、政宗の性格は一変し、逞しい武将に変貌していったのです。父の仇討ちをと、政宗は二本松城を攻略。人取橋の激戦を制しました。これは政宗の生涯でも最も激しい戦いでした。翌年、宿敵である芦名氏を破ると、遂に自らの手で奥州一となる200万石の大国を作り上げました。これにより、伊達藩は秀吉、北条氏に次ぐ大国となったのです。