目の前で繰り広げられる伊達者・政宗公の生涯。まさに、ウォークスルー型の歴史絵巻

伊達政宗公はなぜ泣いているのか

歴史を知るっておもしろい!をみちのく伊達政宗歴史館で体感するのじゃ〜

味わう

みちのく伊達政宗歴史館で味わえるおすすめグルメをご紹介します。
松島観光中にお腹が空いたら、ひと休みにお越しください!

伊達政宗公の兜をモチーフにしたデザートプレートと牡蠣の食べ放題

伊達政宗公の兜をモチーフにしたデザートプレートと牡蠣の食べ放題

体験

3日前までに予約必須!甲冑着付け体験

ドラマや映画の甲冑を製作している職人が手掛けた、甲冑「黒漆五枚胴具足」を身につけ、政宗公になりきっちゃおう!施設の敷地内は自由に撮影OK!渾身の一枚をいざ!撮るのじゃぁ〜!

兜をかぶって記念撮影

甲冑着付けよりも手軽に武将気分を味わうならこちら!兜をかぶって、陣羽織を羽織って眼帯を付けたら、あなたも伊達政宗公!
騎馬像前でポーズを決めて、「伊達政宗歴史館、制覇なり!」眼帯は記念にお持ち帰りいただけます♪

体験

松島みやげ処いだてや家紋グッズ

家紋グッズ

松島みやげ処いだてやオリジナルグッズ

いだてやオリジナルグッズ
東北宮城の定番のおみやげはもちろん、人気の家紋グッズやみちだてオリジナルアイテムも!
お買い物だけのご利用もOK!ぜひお立ちよりください!

松島・仙台観光モデルコース

ガイドブックではお馴染みの観光コースである松島・仙台。
しかしそこは、政宗公の歴史が息づく、まさに「聖地」!
政宗公を切り口にした3つのモデルコースを歩けば、
新たな魅力や楽しみを発見できるはず!
さあ、政宗公が誘う歴史旅に出かけましょう!

松島・仙台観光モデルコース

ガイドブックではお馴染みの観光地である
松島・仙台。
しかしそこは、政宗公の歴史が息づく、
まさに「聖地」!
政宗公を切り口にした
3つのモデルコースを歩けば、
新たな魅力や楽しみを発見できるはず!
さあ、政宗公が誘う
歴史旅に出かけましょう!

着物で満喫!タイムトリップだてま散歩

松島のメイン通りを歩いて巡る定番コース。

歴女代表!
みちのく伊達政宗歴史館
公式アンバサダー

磯部深雪さん

神社!仏閣!城 仙台で伊達家巡礼の旅

歴史好き代表!
学習塾講師・歴史ライター

菅澤一裕さん

仙台・松島の江戸時代の文化を学べるコース。

子どもの好奇心むくむく松島で体験!ワクワク宝探し旅

お子様連れの家族旅行におすすめのコース

パパママと
好奇心旺盛な7歳&5歳

みちだてファミリー

どこに行こうか迷いますやん

〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島字普賢堂13-13

  • 東北自動車道大和I.Cから約25分
  • 三陸自動車道松島海岸I.Cから約5分
  • 仙台から(国道45号線) 約40分

※お車でお越しの際は、当館有料駐車場または近隣の有料駐車場をご利用ください。

  • JR仙石線 松島海岸駅から徒歩10分
  • JR東北本線 松島駅下から徒歩15分
※運行状況については、各交通機関へお問合せください。

伊達家家紋使用許可済許可番号3080

©2024 みちのく伊達政宗歴史館

5歳のときに天然痘を煩い、右目の視力を失ってしまった梵天丸(ぼんてんまる・幼少期の政宗の呼び名)。名家出身・美貌で有名だった母親は、片眼となってしまった梵天丸を疎み、弟の竺丸(じくまる)を可愛がります。片眼というコンプレックスの上、母の愛情にも恵まれず、辛い幼少期を送った梵天丸。一方、父・輝宗は梵天丸を愛していました。伊達十七代の家督を継ぐ器に育てたかった輝宗は、美濃の名僧・虎哉宗乙(こさい そういつ)を梵天丸の師として招きました。虎哉は、仏教、漢学、文学など学問の手ほどきを行うだけでなく、梵天丸に「武将としての生き方」を示しました。虎哉の教えにより、梵天丸は己の弱さを克服する努力をしていったのです。

徳川の政権が確立すると、太平な世の中が訪れました。政宗は、青葉城の築城や北上川下流の開発をはじめとする数々の事業を行い、仙台藩の繁栄に尽力しました。この頃に生まれた文化は現代にも引き継がれています。後年の特筆すべき大事業は、支倉常長らをヨーロッパに派遣したことです。ローマ法王らに謁見し、キリスト教の布教と引き換えにメキシコとの貿易の許可を得ようとしたこの計画は、幕府のキリスト教弾圧もあり達成されませんでした。この時期に三陸を襲った慶長大津波のわずか2週間後に、サンファンバウティスタ号の建造と使節派遣の構想を発表したという事実を踏まえると、この計画には災害から立ち直るための強い意志が託されていたのではないかとも見ることができます。
秀吉から何度か小田原参陣の催促が来ていたものの、秀吉傘下に入ることは政宗の反骨精神が許しません。戦うべきか、否か・・・藩を二分する論争となりました。結局、時流を読んだ政宗は秀吉に追随することを決めますが、秀吉は謁見を許さず、政宗一行を箱根山中に押し込めます。その後、秀吉の陣所に呼び出された政宗。場合によっては差し違える覚悟で、死装束で謁見します。しかし秀吉は政宗に自分の刀を持たせ、山上で作戦を説明しました。絶体絶命を切り抜けた政宗は、秀吉の豪胆さに圧倒されたと言われています。
18歳の若さで伊達藩の当主となった政宗。ところがその翌年、最愛の父・輝宗が二本松城主・畠山義継の謀略により惨殺されてしまいます。この痛恨の出来事により、政宗の性格は一変し、逞しい武将に変貌していったのです。父の仇討ちをと、政宗は二本松城を攻略。人取橋の激戦を制しました。これは政宗の生涯でも最も激しい戦いでした。翌年、宿敵である芦名氏を破ると、遂に自らの手で奥州一となる200万石の大国を作り上げました。これにより、伊達藩は秀吉、北条氏に次ぐ大国となったのです。