着物で満喫!タイムトリップだてま散歩

歴女代表!
みちのく伊達政宗歴史館
公式アンバサダー

磯部 深雪さん

着物に身を包み、政宗公の生きた時代を感じながら
松島の名所を歩く観光コースを考えました!
政宗公への愛溢れる解説もあわせて
楽しみください!

1日の流れ

10:00

JR松島海岸駅

徒歩

10:10

観瀾亭(かんらんてい)・松島博物館

徒歩

11:00

瑞巌寺(ずいがんじ)

徒歩

12:30

松島蒲鉾本舗 総本店

徒歩

13:00

松島五大堂

徒歩

13:45

みちのく伊達政宗歴史館

徒歩

15:30

むとう屋

モデルコース

10:00

JR松島海岸駅

Matsushimakaigan Station

JR仙石線で仙台駅から約40分。
日本三景松島観光の玄関口!

着物でゆっくり歩いて8分

10:10

観瀾亭・松島博物館

Kanrantei & Matsushima Museum

歴代藩主も眺めた
多島美を見ながら風流に浸る

政宗公が豊臣秀吉から譲り受けた伏見桃山城の一棟で、江戸の藩邸に移築したものを 二代藩主忠宗が一木一石も変えぬようにと命じ、ここに移したと伝えられています。藩主・姫君・側室等の松島遊覧の際に宿泊、接待用の施設「御仮屋」として利用されていました。もともとこの場所は月見崎と呼ばれる地で、今でも中秋の名月の時期に「お月見の会」が催されています。

磯部さん

政宗様も眺めた絶景を見ながらお抹茶が飲めるなんて最高!

まさやん

いい眺めですやん〜ぼくも島の間を船あそびしたいですやん。

磯部さん

政宗様も眺めた絶景を見ながらお抹茶が飲めるなんて最高!

まさやん

いい眺めですやん〜ぼくも島の間を船あそびしたいですやん。

着物でゆっくり歩いて7分

11:00

瑞巌寺

Zuiganji

松島に来たらここは外せない!
伊達家の菩提寺 瑞巌寺へ

関ヶ原の戦い後、仙台藩を開いた伊達政宗公は、仙台城の築城と併せて、民衆たちの精神的な拠り所とするため、盛んに神社仏閣の造営を行いました。中でも自らの菩提寺として再建に心血を注いだのが、瑞巌寺です。

磯部さん

岩山に囲まれ、海からしか侵入できないその造りから、「実は寺に見せかけた城だったのでは?」という憶測がされていたけど、近年の調査でやっぱり寺だったと証明されたのよ。

まさやん

そっかー ちょっと残念!でも歴史が解明されていくのもロマンですやん。

磯部さん

岩山に囲まれ、海からしか侵入できないその造りから、「実は寺に見せかけた城だったのでは?」という憶測がされていたけど、近年の調査でやっぱり寺だったと証明されたのよ。

まさやん

そっかー ちょっと残念!でも歴史が解明されていくのもロマンですやん。

政宗公が朝鮮出兵の際に
持ち帰ったとされる梅に注目!

磯部さん

政宗様がお手植えされた臥龍梅(がりゅうばい)!いまでも毎年咲くなんて、政宗様の魂が宿っているとしか思えない!

まさやん

樹齢400年以上!?なんだかパワーがもらえそうですやん!

磯部さん

政宗様がお手植えされた臥龍梅(がりゅうばい)!いまでも毎年咲くなんて、政宗様の魂が宿っているとしか思えない!

まさやん

樹齢400年以上!?なんだかパワーがもらえそうですやん!

伊達家の書や刀剣も展示されている
宝物館も必見!

磯部さん

宝物館にある政宗様の木像は、奥様である愛姫が政宗公の十七回忌に作らせたもの。他の像や肖像画と違い、隻眼のお姿が再現されているのよ。

まさやん

生前のありのままのお姿を残そうとした、 愛姫の愛情が伝わってくるですやん!

磯部さん

宝物館にある政宗様の木像は、奥様である愛姫が政宗公の十七回忌に作らせたもの。他の像や肖像画と違い、隻眼のお姿が再現されているのよ。

まさやん

生前のありのままのお姿を残そうとした、 愛姫の愛情が伝わってくるですやん!

帰りは洞窟の前を通って
霊場の空気を感じる

松島は古来より「奥州の高野」と呼ばれていて、亡き人の供養が営まれた場所でもありました。参道の右側にある洞窟の壁面には供養塔や五輪塔、戒名等が無数に刻まれており、供養場として使用されていたことが窺えます。

磯部さん

時代も種類も様々!霊場として名の知れた場所だったことがわかるわね。

まさやん

こんなにあると、ただの岩肌まで何かの彫刻に見えてきますやん

磯部さん

時代も種類も様々!霊場として名の知れた場所だったことがわかるわね。

まさやん

こんなにあると、ただの岩肌まで何かの彫刻に見えてきますやん

着物でゆっくり歩いて7分

12:30

松島蒲鉾本舗 総本店

Matsushima Kamaboko Hompo

人気のワンハンドグルメで
小腹を満たす

「松かま」の愛称で親しまれている老舗のかまぼこ屋さん。 人気のお豆腐揚げかまぼこ むうを買って政宗風の写真を。

磯部さん

宮城名産の笹かまぼこ。伊達家の家紋である「竹に雀」から、「笹かまぼこ」と呼ばれるようになったと言われているのよ。(諸説あり)

まさやん

満月の日限定商品、松島の月をイメージした「月夜のむう」もオススメですやん。食べながらお月見したいですやん!

磯部さん

宮城名産の笹かまぼこ。伊達家の家紋である「竹に雀」から、「笹かまぼこ」と呼ばれるようになったと言われているのよ。(諸説あり)

まさやん

満月の日限定商品、松島の月をイメージした「月夜のむう」もオススメですやん。食べながらお月見したいですやん!

着物でゆっくり歩いて4分

13:00

松島五大堂

Matsushima Godaido

透かし橋を通って小島に渡れば
神聖な気持ちに

大同年中(807~809)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、後に慈覚大師円仁が五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。現在の建物は、 政宗公が慶長9年(1604)に再建したもので、東北地方現存最古の桃山建築です。

磯部さん

政宗様は松島のシンボルであるこの五大堂を大事に思って再建したのね。しかも、坂上田村麻呂は、政宗の奥様、愛姫(めごひめ)の遠いご先祖。関ヶ原の戦いのときには、この五大堂で必勝祈願をされた政宗様。きっと五大明王様に守られて成功したのね!

まさやん

五大明王像は、1700年代以降、33年に一度ご開帳されるんですやん。次は2039年ですやん!

磯部さん

政宗様は松島のシンボルであるこの五大堂を大事に思って再建したのね。しかも、坂上田村麻呂は、政宗の奥様、愛姫(めごひめ)の遠いご先祖。朝鮮出征のときには、この五大堂で必勝祈願をされた政宗様。きっと五大明王様に守られて成功したのね!

まさやん

五大明王像は、1700年代以降、33年に一度ご開帳されるんですやん。次は2039年ですやん!

着物でゆっくり歩いて8分

13:45

みちのく伊達政宗歴史館

Michinoku Date Masamune History Museum

展示で政宗公の生涯をおさらいして
旅の総仕上げ

松島の中心部にある観光複合施設「みちのく伊達政宗歴史館」。政宗公の生涯を蝋人形で再現した展示を見て歩けば、自分もその場面に居合わせたような感覚に!

磯部さん

入ってすぐの騎馬像がかっこいい! 政宗ポーズで写真を撮るのがお約束!

まさやん

まさやんもみなさんをお待ちしてますや〜ん!

磯部さん

入ってすぐの騎馬像がかっこいい! 政宗ポーズで写真を撮るのがお約束!

まさやん

まさやんもみなさんをお待ちしてますや〜ん!

「伊達かふぇ」で
政宗スイーツを食べながら余韻に浸る

松島の中心部にある観光複合施設「みちのく伊達政宗歴史館」。政宗公の生涯を蝋人形で再現した展示を見て歩けば、自分もその場面に居合わせたような感覚に!

磯部さん

パフェの瀬戸焼タンブラーには、伊達家の家紋が!こういうところもアガる〜 施設内のおみやげ屋さんで買えるわよ!

まさやん

政宗公や家臣たちのミニのぼり旗もたまらないですやん!

磯部さん

パフェの瀬戸焼タンブラーには、伊達家の家紋が!こういうところもアガる〜 施設内のおみやげ屋さんで買えるわよ!

まさやん

政宗公や家臣たちのミニのぼり旗もたまらないですやん!

駐車場から小道を抜けたらすぐ!

15:30

むとう屋

Mutoya

こだわりのお酒屋さんで
おみやげを買って帰路へ!

お酒だけでなく、酒器やおつまみも揃う。こだわりのセレクトが見ているだけで楽しい。持ち帰りやすい1合サイズのお酒が人気。角打ち(かくうち)コーナーでは、その時期おすすめの3銘柄を飲み比べできるセットも。

磯部さん

政宗様といえばお酒好きの逸話も多数。「この間のお酒は楽しくて、帰りたくなかったな」なんて友人に送った書も、瑞巌寺の宝物館に展示されているわよ。

まさやん

それだけじゃなく、お酒で失敗した話も残っているんですやん。そんな話が400年も語り継がれるなんて、きっと政宗公も苦笑いしていますやん。

磯部さん

政宗様といえばお酒好きの逸話も多数。「この間のお酒は楽しくて、帰りたくなかったな」なんて友人に送った書も、瑞巌寺の宝物館に展示されているわよ。

まさやん

それだけじゃなく、お酒で失敗した話も残っているんですやん。そんな話が400年も語り継がれるなんて、きっと政宗公も苦笑いしていますやん。

このモデルコースを考えた人

歴女代表!
みちのく伊達政宗歴史館公式アンバサダー

磯部 深雪さん

伊達政宗公所縁の土地を中心とした地域振興に従事。アキバカルチャーを含む幅広い情報を駆使したポップなMCを得意とし、ライト層にも受け入れやすい歴史イベントの企画・イベントの司会や歴史コンテンツに関する業務を請け負う。第二次歴史ブームの初期から発信側を見続け活動を行う。

5歳のときに天然痘を煩い、右目の視力を失ってしまった梵天丸(ぼんてんまる・幼少期の政宗の呼び名)。名家出身・美貌で有名だった母親は、片眼となってしまった梵天丸を疎み、弟の竺丸(じくまる)を可愛がります。片眼というコンプレックスの上、母の愛情にも恵まれず、辛い幼少期を送った梵天丸。一方、父・輝宗は梵天丸を愛していました。伊達十七代の家督を継ぐ器に育てたかった輝宗は、美濃の名僧・虎哉宗乙(こさい そういつ)を梵天丸の師として招きました。虎哉は、仏教、漢学、文学など学問の手ほどきを行うだけでなく、梵天丸に「武将としての生き方」を示しました。虎哉の教えにより、梵天丸は己の弱さを克服する努力をしていったのです。

徳川の政権が確立すると、太平な世の中が訪れました。政宗は、青葉城の築城や北上川下流の開発をはじめとする数々の事業を行い、仙台藩の繁栄に尽力しました。この頃に生まれた文化は現代にも引き継がれています。後年の特筆すべき大事業は、支倉常長らをヨーロッパに派遣したことです。ローマ法王らに謁見し、キリスト教の布教と引き換えにメキシコとの貿易の許可を得ようとしたこの計画は、幕府のキリスト教弾圧もあり達成されませんでした。この時期に三陸を襲った慶長大津波のわずか2週間後に、サンファンバウティスタ号の建造と使節派遣の構想を発表したという事実を踏まえると、この計画には災害から立ち直るための強い意志が託されていたのではないかとも見ることができます。
秀吉から何度か小田原参陣の催促が来ていたものの、秀吉傘下に入ることは政宗の反骨精神が許しません。戦うべきか、否か・・・藩を二分する論争となりました。結局、時流を読んだ政宗は秀吉に追随することを決めますが、秀吉は謁見を許さず、政宗一行を箱根山中に押し込めます。その後、秀吉の陣所に呼び出された政宗。場合によっては差し違える覚悟で、死装束で謁見します。しかし秀吉は政宗に自分の刀を持たせ、山上で作戦を説明しました。絶体絶命を切り抜けた政宗は、秀吉の豪胆さに圧倒されたと言われています。
18歳の若さで伊達藩の当主となった政宗。ところがその翌年、最愛の父・輝宗が二本松城主・畠山義継の謀略により惨殺されてしまいます。この痛恨の出来事により、政宗の性格は一変し、逞しい武将に変貌していったのです。父の仇討ちをと、政宗は二本松城を攻略。人取橋の激戦を制しました。これは政宗の生涯でも最も激しい戦いでした。翌年、宿敵である芦名氏を破ると、遂に自らの手で奥州一となる200万石の大国を作り上げました。これにより、伊達藩は秀吉、北条氏に次ぐ大国となったのです。