ご利用案内

みちのく伊達政宗歴史館
松島みやげ処 いだてや
松島トリックアート特別展

9:00〜17:00

歴史館・トリックアート最終入館 16:30

年中無休

伊達かふぇ・竹雀庵

9:00〜16:30

ラストオーダー 16:00

年中無休

松島かき小屋MATSU

10:00〜15:00

ラストオーダー 15:00

年中無休

みちのく伊達政宗歴史館

一般(高校生以上)

1,000円(税込)

小中学生

500円(税込)

未就学児

無料

一般(高校生以上)

500円(税込)

小中学生

300円(税込)

未就学児

無料

※窓口にて手帳をご提示ください。
※施設やグループホーム等の団体旅行(20名以上)の場合、職員・スタッフ等も割引価格でご案内します。
松島トリックアート特別展

一般(高校生以上)

500円(税込)

4歳〜小中学生

300円(税込)

3歳以下​

無料

お得な共通入館券
みちのく伊達政宗歴史館・松島トリックアート 特別展

一般(高校生以上)

1,200円(税込)

300お得

小中学生

600円(税込)

300お得

※未就学児の「お得な共通入館券」は、ありません。
甲冑着付け体験

ご自身で撮影​

10,000円(税込)

プロカメラマン撮影​

12,000円(税込)

オプション:眼帯​

500円(税込)

  • 撮影は伊達政宗歴史館敷地内のみです。
  • 着脱に30分程度お時間がかかります。
  • 撮影した写真は撮影した写真はデータ(CD-R)でお渡しいたします。
  • 着付け終了後、お写真の出来上がりまで多少お時間をいただきます。予めご了承ください。
  • 甲冑着付師の都合により、ご希望の日時に予約できない場合があります。
兜記念撮影

お一人様(眼帯お土産付き)

1,500円(税込)

※撮影はお客様ご自身のカメラでの撮影となります。

体験のご予約はこちらから

電話でご予約

受付時間 9:00〜17:00

駐車場利用

月〜金曜

最大料金当日24時まで 900円

60分 300円

土日祝

最大料金なし

60分 500円

※お帰りの前に必ず場内の精算機でご精算ください。

ご予約されていない方

30分 500円

ご予約済みの方

無料

5歳のときに天然痘を煩い、右目の視力を失ってしまった梵天丸(ぼんてんまる・幼少期の政宗の呼び名)。名家出身・美貌で有名だった母親は、片眼となってしまった梵天丸を疎み、弟の竺丸(じくまる)を可愛がります。片眼というコンプレックスの上、母の愛情にも恵まれず、辛い幼少期を送った梵天丸。一方、父・輝宗は梵天丸を愛していました。伊達十七代の家督を継ぐ器に育てたかった輝宗は、美濃の名僧・虎哉宗乙(こさい そういつ)を梵天丸の師として招きました。虎哉は、仏教、漢学、文学など学問の手ほどきを行うだけでなく、梵天丸に「武将としての生き方」を示しました。虎哉の教えにより、梵天丸は己の弱さを克服する努力をしていったのです。

徳川の政権が確立すると、太平な世の中が訪れました。政宗は、青葉城の築城や北上川下流の開発をはじめとする数々の事業を行い、仙台藩の繁栄に尽力しました。この頃に生まれた文化は現代にも引き継がれています。後年の特筆すべき大事業は、支倉常長らをヨーロッパに派遣したことです。ローマ法王らに謁見し、キリスト教の布教と引き換えにメキシコとの貿易の許可を得ようとしたこの計画は、幕府のキリスト教弾圧もあり達成されませんでした。この時期に三陸を襲った慶長大津波のわずか2週間後に、サンファンバウティスタ号の建造と使節派遣の構想を発表したという事実を踏まえると、この計画には災害から立ち直るための強い意志が託されていたのではないかとも見ることができます。
秀吉から何度か小田原参陣の催促が来ていたものの、秀吉傘下に入ることは政宗の反骨精神が許しません。戦うべきか、否か・・・藩を二分する論争となりました。結局、時流を読んだ政宗は秀吉に追随することを決めますが、秀吉は謁見を許さず、政宗一行を箱根山中に押し込めます。その後、秀吉の陣所に呼び出された政宗。場合によっては差し違える覚悟で、死装束で謁見します。しかし秀吉は政宗に自分の刀を持たせ、山上で作戦を説明しました。絶体絶命を切り抜けた政宗は、秀吉の豪胆さに圧倒されたと言われています。
18歳の若さで伊達藩の当主となった政宗。ところがその翌年、最愛の父・輝宗が二本松城主・畠山義継の謀略により惨殺されてしまいます。この痛恨の出来事により、政宗の性格は一変し、逞しい武将に変貌していったのです。父の仇討ちをと、政宗は二本松城を攻略。人取橋の激戦を制しました。これは政宗の生涯でも最も激しい戦いでした。翌年、宿敵である芦名氏を破ると、遂に自らの手で奥州一となる200万石の大国を作り上げました。これにより、伊達藩は秀吉、北条氏に次ぐ大国となったのです。