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みちのく伊達政宗歴史館は、4月15日で開館40周年!

これを記念して周年祭の開催が決定いたしました。

 

「みち伊達40周年祭 宴~牡蠣と日本酒と音楽と~」

令和6年4月13日(土)、14日(日)

10:00~15:00

みちのく伊達政宗歴史館駐車場にて

 

 

当日は

「阿部勘」「一ノ蔵」「浦霞」「勝山」「澤の泉」「森民」の6か所の

酒造が大集合!

会場でご利用いただける「宴チケット」で計18種類の日本酒を飲み比べいただけます※

また宮城県産の焼き牡蠣や牡蠣の佃煮をはじめとしたおつまみ等々、

日本酒のお供にもぴったりなフードの販売もございます。

ぜひ春の松島で美味しい日本酒と肴をおたのしみください。

さらに14日は限定イベントが盛りだくさん!

■11:00~ 当館の館長と社長が伊達政宗公の甲冑を身にまとい、松島へ出陣!

■13:00~ 宮城県出身の姉妹ユニット「まゆかり」による津軽三味線ライブ!

 

■更にこの2日間はみち伊達の見学がどなたでもおひとり800円の特別価格に!(小中学生はおひとり400円となります)

ぜひこの機会に、皆様みち伊達へ遊びにいらしてくださいませ!

 

※飲み比べには2日間限定でご利用いただける

「宴チケット 1000円(100円×10枚綴り)」、及び飲み比べ用のお猪口を300円(込)を

ご購入いただきます。使い捨てカップでのご提供はございません。あらかじめご了承ください。

フードのみご利用のお客様につきましてはチケットのみお買い求めくださいますようお願い申し上げます。

イベントの最新情報はみち伊達公式SNSでも公開中!

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https://www.instagram.com/datemasamunerksk

 

 

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5歳のときに天然痘を煩い、右目の視力を失ってしまった梵天丸(ぼんてんまる・幼少期の政宗の呼び名)。名家出身・美貌で有名だった母親は、片眼となってしまった梵天丸を疎み、弟の竺丸(じくまる)を可愛がります。片眼というコンプレックスの上、母の愛情にも恵まれず、辛い幼少期を送った梵天丸。一方、父・輝宗は梵天丸を愛していました。伊達十七代の家督を継ぐ器に育てたかった輝宗は、美濃の名僧・虎哉宗乙(こさい そういつ)を梵天丸の師として招きました。虎哉は、仏教、漢学、文学など学問の手ほどきを行うだけでなく、梵天丸に「武将としての生き方」を示しました。虎哉の教えにより、梵天丸は己の弱さを克服する努力をしていったのです。

徳川の政権が確立すると、太平な世の中が訪れました。政宗は、青葉城の築城や北上川下流の開発をはじめとする数々の事業を行い、仙台藩の繁栄に尽力しました。この頃に生まれた文化は現代にも引き継がれています。後年の特筆すべき大事業は、支倉常長らをヨーロッパに派遣したことです。ローマ法王らに謁見し、キリスト教の布教と引き換えにメキシコとの貿易の許可を得ようとしたこの計画は、幕府のキリスト教弾圧もあり達成されませんでした。この時期に三陸を襲った慶長大津波のわずか2週間後に、サンファンバウティスタ号の建造と使節派遣の構想を発表したという事実を踏まえると、この計画には災害から立ち直るための強い意志が託されていたのではないかとも見ることができます。
秀吉から何度か小田原参陣の催促が来ていたものの、秀吉傘下に入ることは政宗の反骨精神が許しません。戦うべきか、否か・・・藩を二分する論争となりました。結局、時流を読んだ政宗は秀吉に追随することを決めますが、秀吉は謁見を許さず、政宗一行を箱根山中に押し込めます。その後、秀吉の陣所に呼び出された政宗。場合によっては差し違える覚悟で、死装束で謁見します。しかし秀吉は政宗に自分の刀を持たせ、山上で作戦を説明しました。絶体絶命を切り抜けた政宗は、秀吉の豪胆さに圧倒されたと言われています。
18歳の若さで伊達藩の当主となった政宗。ところがその翌年、最愛の父・輝宗が二本松城主・畠山義継の謀略により惨殺されてしまいます。この痛恨の出来事により、政宗の性格は一変し、逞しい武将に変貌していったのです。父の仇討ちをと、政宗は二本松城を攻略。人取橋の激戦を制しました。これは政宗の生涯でも最も激しい戦いでした。翌年、宿敵である芦名氏を破ると、遂に自らの手で奥州一となる200万石の大国を作り上げました。これにより、伊達藩は秀吉、北条氏に次ぐ大国となったのです。