4月13日、14日に開催されました
みち伊達40周年記念祭
宴~牡蠣と日本酒と音楽と~
たくさんの方にご来場いただき誠にありがとうございました!
みち伊達41年目、最高のスタートを切ることが出来ました。
当日は伊達政宗公の甲冑を纏った当館社長と館長が皆様にご挨拶させていただきました。
その後もステージでは、力強い太鼓の演舞や津軽三味線の演奏など各アーティストや団体の皆様がステージを盛り上げてくださいました。
社員一同、この2日間を通して改めて皆さまとのご縁に支えられていることを感じた2日間でございました。
1年また1年と変化していくみち伊達ですが、10年後、20年後も皆さまと「伊達」を繋ぐ場所であり続けられるよう頑張ってまいります。
41年目を迎えるみち伊達をどうぞよろしくおねがいいたします!
〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島字普賢堂13-13
※無料駐車場は施設内ご利用中のみ駐車可能です。満車の場合は、近隣の有料駐車場をご利用ください。
©2024 みちのく伊達政宗歴史館
5歳のときに天然痘を煩い、右目の視力を失ってしまった梵天丸(ぼんてんまる・幼少期の政宗の呼び名)。名家出身・美貌で有名だった母親は、片眼となってしまった梵天丸を疎み、弟の竺丸(じくまる)を可愛がります。片眼というコンプレックスの上、母の愛情にも恵まれず、辛い幼少期を送った梵天丸。一方、父・輝宗は梵天丸を愛していました。伊達十七代の家督を継ぐ器に育てたかった輝宗は、美濃の名僧・虎哉宗乙(こさい そういつ)を梵天丸の師として招きました。虎哉は、仏教、漢学、文学など学問の手ほどきを行うだけでなく、梵天丸に「武将としての生き方」を示しました。虎哉の教えにより、梵天丸は己の弱さを克服する努力をしていったのです。