松島観光ご検討の旅行会社様へ

歴史展示、食事、お土産の三つを兼ね備えた
みちのく伊達政宗歴史館は、団体旅行に最適です。
ぜひお立ち寄りください!

みちのく伊達政宗歴史館

団体様20名以上

一般(高校生以上)
800円(税込)
小中学生
400円(税込)

修学旅行

一般(高校生以上)
700円(税込)
小中学生
400円(税込)

※20名未満の場合、料金は一般(高校生以上)1,000円(税込) 小中学生500円(税込)です。
※引率の先生は児童・生徒と同料金になります。
※カメラマン・保護者様は1名800円です。

︎障害者手帳・
療育手帳をお持ちの方
(ご本人様のみ)

一般(高校生以上)
500円(税込)
小中学生
300円(税込)

※窓口にて手帳をご提示ください。
※施設やグループホーム等の団体旅行(20名以上)の場合、職員・スタッフは利用者と同料金です。

松島トリックアート特別展

一般(高校生以上)

500円(税込)

4歳〜小中学生

300円(税込)

みちのく伊達政宗歴史館・松島トリックアート特別展 共通入館

一般(高校生以上)

1,200円(税込)

小中学生

600円(税込)
みちのく伊達政宗歴史館正面ゲート

無料大型バス駐車場:8台

高さ制限:3.8m以内

・国道45号線から正面ゲートよりご入車ください。
・お買い物のみのお立ち寄りも可能です。

Map
宮城県宮城郡松島町松島字普賢堂13-13
大人数でのお食事も対応可能です。席確保のため、繁忙期はご予約の方を優先にご案内いたします。

最大受け入れ人数:60名

団体のお客様に人気のメニュー

三陸産かき食べ放題

45分 3,300円(税込)
スタッフが蒸し焼きにした牡蠣をお席までお持ちします。
追加メニューで牡蠣めしセット、牛タン、各種海鮮もございます。

三陸産牡蠣尽くし御膳

1,950円(税込)

焼き牡蠣、牡蠣フライ、牡蠣飯、牡蠣汁、牡蠣の佃煮がついてくる、牡蠣づくしの定食です。

団体のお食事のご予約

  • 5名以上でお越しの場合は事前予約いただくと、ご案内がスムーズです。
  • 牡蠣が苦手な方は、同じお席で違うメニューを楽しめます!
  • ご予算に合わせた組み合わせも可能です!
  • お気軽にお問合せください。

    電話でご予約

    受付時間 9:00〜17:00

    フォームでご予約

    歴史を知るって楽しい!を感じられる
    みちのく伊達政宗歴史館は、
    修学旅行でのご利用もおすすめです。
    忙しい修学旅行のスケジュールでも充実した体験を提供いたします。

    修学旅行におすすめな4つのポイント

    修学旅行におすすめな4つのポイント

    修学旅行におすすめなポイント1
    まるで戦国時代にタイムスリップ!

    歴史の教科書から
    飛び出したような展示

    伊達政宗公の生涯を200体以上の等身大のろう人形でリアルに再現しています。戦国時代〜江戸時代にタイムスリップしたように、直感的に理解することができます。また、東北各県の偉人たちの展示コーナーは郷土学習にも最適です。

    修学旅行におすすめなポイント2
    1名から適応OK!

    お得な修学旅行料金

    修学旅行や校外学習であれば、自由行動、団体行動問わずに割引料金でご見学いただけます。
    修学旅行におすすめなポイント3
    歴史学習を深める!

    小学生向けワークシート

    穴埋クイズ形式のワークシートで楽しみながら、伊達政宗公の生涯について学びを深めていただけます。
    修学旅行におすすめなポイント4
    定番からレアものまで豊富な品揃え

    お土産販売あり

    定番のお土産はもちろん、キャラクターコラボなどのレアグッズまで取り揃えています。
    みんなで特別な昼食を

    修学旅行限定食事メニュー

    宮城の名物や、みんなが大好きなおかずが盛りだくさん!
    ・松花堂弁当
    ・三日月チーズカレー

    5歳のときに天然痘を煩い、右目の視力を失ってしまった梵天丸(ぼんてんまる・幼少期の政宗の呼び名)。名家出身・美貌で有名だった母親は、片眼となってしまった梵天丸を疎み、弟の竺丸(じくまる)を可愛がります。片眼というコンプレックスの上、母の愛情にも恵まれず、辛い幼少期を送った梵天丸。一方、父・輝宗は梵天丸を愛していました。伊達十七代の家督を継ぐ器に育てたかった輝宗は、美濃の名僧・虎哉宗乙(こさい そういつ)を梵天丸の師として招きました。虎哉は、仏教、漢学、文学など学問の手ほどきを行うだけでなく、梵天丸に「武将としての生き方」を示しました。虎哉の教えにより、梵天丸は己の弱さを克服する努力をしていったのです。

    徳川の政権が確立すると、太平な世の中が訪れました。政宗は、青葉城の築城や北上川下流の開発をはじめとする数々の事業を行い、仙台藩の繁栄に尽力しました。この頃に生まれた文化は現代にも引き継がれています。後年の特筆すべき大事業は、支倉常長らをヨーロッパに派遣したことです。ローマ法王らに謁見し、キリスト教の布教と引き換えにメキシコとの貿易の許可を得ようとしたこの計画は、幕府のキリスト教弾圧もあり達成されませんでした。この時期に三陸を襲った慶長大津波のわずか2週間後に、サンファンバウティスタ号の建造と使節派遣の構想を発表したという事実を踏まえると、この計画には災害から立ち直るための強い意志が託されていたのではないかとも見ることができます。
    秀吉から何度か小田原参陣の催促が来ていたものの、秀吉傘下に入ることは政宗の反骨精神が許しません。戦うべきか、否か・・・藩を二分する論争となりました。結局、時流を読んだ政宗は秀吉に追随することを決めますが、秀吉は謁見を許さず、政宗一行を箱根山中に押し込めます。その後、秀吉の陣所に呼び出された政宗。場合によっては差し違える覚悟で、死装束で謁見します。しかし秀吉は政宗に自分の刀を持たせ、山上で作戦を説明しました。絶体絶命を切り抜けた政宗は、秀吉の豪胆さに圧倒されたと言われています。
    18歳の若さで伊達藩の当主となった政宗。ところがその翌年、最愛の父・輝宗が二本松城主・畠山義継の謀略により惨殺されてしまいます。この痛恨の出来事により、政宗の性格は一変し、逞しい武将に変貌していったのです。父の仇討ちをと、政宗は二本松城を攻略。人取橋の激戦を制しました。これは政宗の生涯でも最も激しい戦いでした。翌年、宿敵である芦名氏を破ると、遂に自らの手で奥州一となる200万石の大国を作り上げました。これにより、伊達藩は秀吉、北条氏に次ぐ大国となったのです。